プロフィール

すり鉢一筋70余年

合資会社ヤマセ製陶所
四代目 杉江匡

※ヤマセのすり鉢は
電子レンジ&食洗機対応しております。


■沿革

初代 杉江清次郎は明治18(1885)年、船乗りの子供として生れた。幼くして父は横浜で客死。祖父も海難に合い早世しているので、母親は10歳の清次郎を義務教育(小学校4年)終了と同時に盆栽鉢作家の2代杉江寿門のもとへ奉公に出す。

苦労して独立した(20歳位か)清次郎は清風の号で盆栽鉢を製造。当時は登り窯が市内に76基あり、その内の南暖窯で焼成。



2代目、茂は大正2(1920)年出生。常滑陶器学校を卒業後、家業を継ぐ。時代は激動期にあたり、家業の焼物も国策「第2次食糧増産計画に伴って、農地改良暗渠排水事業」で、不慣れな土管の製造も割り当てられたりした。茂は召集され満洲、再度内地勤務で再召集と落着いて家業に従事して居られない状態であった。

敗戦後、盆栽鉢など売れるはずもなく(どの窯屋も)、生活必需品として、すり鉢・陶製のマッチ箱・焙烙・便皿など手当たり次第製造する。世の中が落ち着くにつれて、窯元はそれぞれ本業に戻っていった。

茂は盆栽鉢ではなくすり鉢を作り続けることに決め、失敗を繰り返しながらほぼ現在のすり鉢作りの基礎(粘土・釉薬・焼成)を作り上げた。窯も登り窯から平地に石炭窯(倒炎式角窯)をつくる。

昭和36(1961)年4月、合資会社ヤマセ製陶所として法人登録する。一其の窯では製品の注文に追いつかず、第2工場として、現在の場所に窯を新設。しかし新設した窯の性能は悪く、直ぐ石炭窯から重油を燃料とした窯に作り替える。

旧工場は道路拡幅に伴い工場のすべてを第2工場に移転。病弱であった茂は早期に現役から引退し闘病生活。



3代目となった孝夫(1944生)は、高度成長期であったこともあり増産に次ぐ増産の時代であった。その為の設備を充実させる。(台車・施釉機の導入・重油を燃料とした倒炎式角窯からシャトル式ガス炉2基をに変更)すり鉢の寸法の種類も増やして現在の寸法揃えにした。



4代目として、匡(1973生)が就業。これまでの飴釉のすり鉢が供給過大となり勢い価格競争となる。その様な状態から脱却すべく、4代目は常滑在住の陶芸作家の冨本大輔氏と共同で白、黒すり鉢。また夫婦で絵柄すり鉢を創作し、飴釉のすり鉢と共に販売を始める。

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購入者の声

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  • ★★★★★
    [ミニすり鉢(土灰釉)と山椒の…]
    この度はありがとうございました。 今後も宜しくお願い致します。
  • ★★★★★
    [すり鉢6号(土灰釉)杉江匡 ]
    色合いが素敵です。 すりこぎ機能は申し分ありません。 おまけもありがとうございました。さっそく使っております。
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