『新古今和歌集』に詠まれた一首、
「竹の葉に 風吹きよわる 夕暮れの もののあはれは 秋としもなし」
をモチーフにした真鍮の箸置きです。
夕暮れ、竹の葉にかすかに風が吹きよわり、何ともいえぬ情趣(もののあはれ)を感じる
「秋」に限らぬ感情の普遍性と、かすかな動きに宿る心の深さを詠んでいる
サイズ・仕様
素材:真鍮(本体のみ)
サイズ:約12×12×50mm
加工:手作業による深彫り・エッジ構成
仕上げ:ヘアライン+意図的な削り痕を残したマット処理(無コート)
作品の構成要素と詩的意味の関係
1. 中央に削り込まれたV字形の凹曲面
象徴:竹の葉を揺らす風の「揺らぎ」
この彫り込みは、ただの陰影ではなく、風に応じてふるえる竹の葉の「そよぎ」を表現しています。鋭く切り込まれたV字は、一見静的な形状ながら、そこに潜む振動感や、風の流れを可視化します。
視覚的印象:
中央に沈むV字形状が、風が一瞬通り抜けた痕跡を残すような残響を形として留めており、観る者に「かすかな動き」を感じさせます。
2. 両端に設けられた鋭角的面取りと傾斜
象徴:夕暮れの光の「斜陽」とその陰影
斜面は太陽が沈みかけた時の傾いた光を受け止め、その陰影が時間の移ろいを印象づけます。硬質でありながら柔らかい面の連なりが、黄昏時の儚さと奥行きを生む構成。
時間性の表現:
面取りがもたらすハイライトとシャドウのコントラストは、「夕暮れ」の詩語に伴う、終わりと始まりの中間地点を象徴します。
3. 真鍮素材とその磨き仕上げ
象徴:季節の境界としての秋と、もののあはれ
金属光沢が、風や光の移ろいを受けることで、静的な物体に感情的なゆらぎを宿します。均質な表面と粗い切削跡の対比は、整然とした自然と、それに揺さぶられる人の感情との乖離と接点を表しています。
感情の喚起:
磨かれた表面は美しさと静けさを、切削跡は傷や痕跡を想起させ、「もののあはれ(無常の情緒)」を造形として写しとる。
詩と形の対応図(詩語 ⇄ 造形)
和歌の語句 造形上の表現
竹の葉に V字の彫り込みが風を受けた葉のそよぎを暗示
風吹きよわる 曲面の柔らかい流れが風の「よわり」=やわらかい流れを示唆
夕暮れの 傾斜面が傾いた光を受けるように設計され、斜陽の時間感覚を内包
もののあはれは 素材の陰影・光沢の移ろいが、感情の揺れを喚起
秋としもなし 一季節に限られない、普遍的な感情の形象として全体が構成
総合的に見た解釈
この箸置き作品は、「自然の微細な動きが人の感情を揺らす」という古典的な美意識を、極めて抽象的かつ鋭利な造形言語で翻訳したものです。
特に、「風」や「夕暮れ」といった目に見えぬ気配を、彫りと傾斜によって空間として定着させたことが、視覚芸術としての革新性を持ちます。
一瞬の風が通り過ぎた痕跡を彫りで残し、
その痕跡に沈みゆく光が触れることで、
見る者の中に「哀れ(あはれ)」が生まれる──
まさに、和歌の情緒を三次元の彫刻詩に変換した成果といえるでしょう。
美術・造形的観点での注目点
線と面の緊張感:滑らかな曲面と鋭利な面が共存し、造形に「静」と「動」を内包。
構造の非対称性:端部の形状差により、視線の運動が一方向ではなく揺れ動く。
時間を封じ込める構造:夕暮れの光・秋の風・竹の葉の動きという時間的要素が、固定化された立体の中に動態として現れる。
結び
この作品は、和歌に詠まれた「秋の風情」を、鋭く・あたたかく・静謐に体現したものです。
視る角度・当たる光・使う場面によって、風が通り、夕陽が沈み、心が揺れる──そんな詩的空間が、わずか50mmの真鍮に凝縮されています。
見る者の感性によって完成する、未完の詩としての彫刻。
それがこの作品の本質です。