1946 東京都杉並区に生まれる。
1970 東京都立大学理学部物理学科卒業
1976 松本職業訓練校木工科入学
1977 松本民芸家具協力工場加藤木工入社
1981 独立、ベロ工房設立
1982 「4ウッドワーカーズ展」(松本井上ギャラリー)
1983 軽井沢にて、家具の店「デニス」を4人で開店(「グレインノート」の前身)
1984 松本にて、「グレインノート」を4人で開店
「クラフトフェアまつもと」の企画に参画
1985 「クラフトフェアまつもと」に参加
#03 指田哲生(椅子職人)
2011.7.15
つくり手は、絞り込んでいく方が究極的には良いものを生みだせる
木立の向こう。澄みきった空をバックに残雪を残した槍ヶ岳の頂がくっきりと見えている。桜の蕾がほころぶのももうすぐだろう。
信州松本。北アルプスの麓にある美しい町。
1985年、この町ではじまった「クラフトフェアまつもと」は今年2011年で27年目を迎える。わずか数名の若きクラフトマンたちが立ち上げたこのフィールド・エキジビションも、今では毎年全国各地から300名ものつくり手たちが集う規模に成長した。
「クラフトフェアまつもと」創設メンバーのひとり、木工職人の指田哲生さんのアトリエを訪ねた。
松本に来る前は、東京でサラリーマンをしていました。事務機器の営業。全然関係ない仕事ですね。
以前から関東一円はいろいろと回っていたけれど、松本がいちばん好きでした。空気もきれいだったし、町の佇まいも落ち着いていて素敵だなあって。
この町で暮らすことになって、ここで仕事をしようと思った時、やはりまず浮かんだのは、木工の仕事。
松本には民藝家具があったし、ここの気候も木工にはとても適しているから。職業訓練校で1年、その後、民藝家具の工房に就職して4年ほど修行しました。訓練校の先生は民藝関係ではなかったけれど、相当に熟練した方だった。
その技を見せてもらったときに、これは本当に奥が深いなと驚いたことを覚えています。


松本民芸家具の影響はやはり大きかったのでしょうか?
確かに、もう当時から松本といえば「松本民芸家具」(※注釈)という印象が強かったですからね。 影響を受けないわけにはいかない。でも僕は木工の技術を学びたかったわけだから、 独立した後は民藝から離れようと思った。優れた技術は伝承しよう。 でもスタイルは自分でつくらないと。単にコピーになってしまうから。
自分らしい発想とスタイル。それを生みだすことは楽しく、そしてとても難しいことでもある。指田さんの家具づくりの根底にはどんなヴィジョンがあるのだろう。
そうですね。確かにそれは簡単なことではない。
僕は中学生のころから、ずっとオーダーメイドの自転車が好きだったんです。ひとりひとりの体格の違いを勘案して、寸法、角度、全部決め込んでいく。そして最終的にその人の体にフィットするものを作り上げていく。それが本当に好きでした。
それで僕は民芸家具の修行をする前から、家具の中でも「椅子」をテーマにしようと決めていたんです。
就職する時も、椅子を専門にやらせて欲しいといって、4年間ひたすら椅子づくりに集中して学びました。
家具の中でも、直接体に触れるものをつくりたかった。
「椅子のオーダーメイド」、そこに僕なりの新しい可能性を探したかったから。
これだと僕にもできるかもしれないって。
そもそも椅子の大半は量産的に作られるものが多いですし。


自分の身体にフィットする椅子? はたしてどんな座り心地がするんだろう。
「ちょっと座ってみる?」そういって指田さんは自作の椅子を二脚、アトリエの前に運び出してくれた。なんともチャーミング。隣では、陽だまりの温かさを恋しがって猫が草むらでじゃれている。
この椅子の座面は和紙で編んだもの。藁草履を編むための材料で、もちろん水にぬれても破れないように処理されています。
二脚の椅子を座り比べる。確かに何かが違う。座り心地は近い。でも座った時の自分の身体のまわりの空間の広がりが違う気がする。僕にとっては右の椅子の方が座った時の解放感がある。
この二つは同じ素材、同じ構造の椅子ですが、少しだけアームの角度が違う。それだけで、座る人によって感じ方も違ってくるんです。体格だけじゃなく、食事するとき、仕事するとき、コーヒーを飲むとき、本当は椅子も目的別に作った方が理想的にはいい。自転車も目的地や楽しみ方にとって使い分けるように。
椅子をつくるときはいつも、機能とデザインとのあいだで悩みますね。どちらかというと、僕は機能優先の傾向が強いかもしれない。かといって機能だけ追求してもなかなかうまくはいかない。それぞれの木の性質や強度から必然的に決まる形があるし、手触りやたたずまいも考えなくてはいけない。木の性質とのせめぎあいの中で、いつも少しずつ冒険しています。
僕の場合は、クリ、サクラ、ナラに種類も絞っています。その方がイメージが定着しやすいし、慣れた材料だと信頼できるから、結果的に冒険もできる。それに半材が出ないから、無駄も極力出さずに済む。座面にロープや綿を使うことはあるけれど、それ以上には広げたくない。専門性がある方が、間口は狭いが完成度は高くなると思うんです。いろんなことに手を出すと、かえっていいものは出来なくなる。
これからのこと、少し聞かせていただけますか。
やっぱり「椅子」をつくり続けることですね。
人によっては何種類もの椅子をつくったり、幅広く家具を手掛ける人もいる。でも僕はデザイナーじゃなくて、つくり手だから。デザイナーは形を求める。でもつくり手は、一点に絞り込んでいく方が究極的には良いものを生みだせる気がする。まだつくっていない椅子もあるし、これが僕の究極だという1点をまだつくったとも思っていないから。
注釈:池田三四郎と「松本民芸家具」
1940年代、松本市出身の木工家・池田三四郎は、柳宗悦が唱えた「民藝運動」に共鳴し、松本で受け継がれていた指物師の技術、
北アルプスの木材、ヨーロッパの家具のエッセンスを取り込んだ「松本民芸家具」を立ち上げた。昭和31年、池田三四郎が中心となり開発した「ラッシ編み椅子(いぐさの一種)が」が第10回全国民芸大会賞を受賞、松本民芸家具は全国各地に広がっていく。こうした池田の取り組みは当時低迷期にあった松本の木工職人の仕事を復興させた点でもとても大きな意義がある仕事であった。
指田哲生
Tetsuo Sashida
