HOME 作家インタビュー Fillmignon 渡邊杏子(ジュエリー作家)インタビュー

#25 Fillmignon 渡邊杏子(ジュエリー作家)

2013.07.04

photo

渡邊薫さん(前インタビュー)の作業場の2階には、2歳のお子さんの子育てをしながらジュエリーを制作
する杏子さんの小さな工房があります。ジュエリーを本格的に販売するようになって2年目という杏子さん。
できて間もない工房は、現在も薫さんと改良を加えている最中なのだそうです。
お子さんの遊び場が一緒になった工房で、杏子さんが綺麗な天然石をジュエリーに変身させていく間、
1階からは薫さんが鉄を叩く音が響いてきます。

杏子さんはどんなジュエリーを制作されているのでしょう。

天然石とシルバーを使って制作しています。天然石は、大量生産では使わないような形や色が異なるものも使っているので、土台になるシルバーの部分もそれぞれの石に合わせて制作しています。シルバーの部分は鋳造(ちゅうぞう)という方法で作っています。

鋳造というのはどのような作業なのですか。

ロウが細い線状になったもの(ワックス)があるのですが、それをハンダゴテのような道具で熱して溶かしたり曲げたりして完成形と全く同じ形を作って、鋳造屋さんに持っていきます。
鋳造屋さんではそのワックスを石膏に埋めて型を取ります。型に熱をかけると、ワックスの部分が流れ出て空洞になるんです。その型に溶かしたシルバーを流し込みます。そうしてできあがったものを受け取ってくるのですが、プラモデルの部品のように要らない部分がくっついているので、それを自分で切り取ったり削ったりして整えます。その後研磨して、石留めをして仕上げます。
鋳造というと同じものを複製する場合の技術のように思われがちですが、石膏型から取り出すときに型は壊してしまうので、ひとつのワックス原型から取った石膏型ではひとつの完成品しかできません。量産する場合にはワックスに合わせたシリコン型を作って、ワックスの方を複製します。それをまた石膏で型取る、という作業になるのですが、私の場合は石に合わせて土台の形も異なるので、量産はしていません。

photophoto

ジュエリー制作を始められる前は何をしていらしたんですか。

もともと出身は北海道なのですが、大学進学と同時に東京に出てきたんです。
大学では工業デザインの勉強をしていました。消しゴムから車まで、いろんな工業製品のデザインを勉強する学部です。最初は吹きガラスに興味を持ってその大学に入ったのですが、いざ入学してそれぞれのコースの入門部分を勉強するうちに、一つの素材を専門にするのではなくて色んな素材を扱って、実際に商品のモデルを作るところまでやるというのが面白くなって、結局工業デザインのコースを選択しました。
提示されたテーマに対して自分が作るもののコンセプトを決めて、市場調査や使い方のシミュレーションをして、デザインを起こして、制作したモデルを使ってプレゼンテーションをする、というのが課題のおおまかな流れでした。課題は面白かったし、意欲的に取り組みましたが、卒業後自分がそれを職業としてやりたいのかということについてははっきりとした考えがありませんでした。
明確な意志を持って学部に通っていた友だちは、おもちゃの会社、家電の会社、自動車の会社、そういうところを志望して就職が決まっていっていました。私も同じように一般の会社を色々受けてみながら、なんとなくピンと来ないという状態が続いていたのですが、ある時好きでよく通っていた雑貨屋さんが求人を出しているのを見て、アルバイトからでしたがそこで働くことに決めました。

そちらはどんなお店だったのでしょう。

青山にあって、雑貨やジュエリーを扱っているお店でした。小さいものや可愛らしいものがたくさんあって、キラキラしていましたね。
お店では自社で作っているオリジナルの量産のジュエリーに加えて、作家もののジュエリーの委託販売もしていました。会社の方針としては自社製品の方を販売していきたいという考えがあったのですが、私がお客様にお薦めしたくなるのは作家さんの作った方でした。商品について紹介するときも、どんな方が作っているとか、どんな想いをこめて作っているとか、伝えることがたくさんあるしお話も盛り上がるし、売れた時にも嬉しくて。「今日いただいたあの作品がもう売れちゃったんですよ」と作家さんに報告するのも楽しみでした。
もちろん量産のジュエリーも、原型を制作している方がいて、鋳造、研磨、いろいろな作業に携わる方がいらっしゃってやっとできあがるものですが、作家による作品は、そこに一人の作り手の想いや個性が強く表れます。そこに私は惹かれていたのだと思います。

photophoto

ジュエリーを販売されているうちに、作りたい、という気持ちが出てきたのですか。

ビーズアクセサリーを作るのは好きで、学生時代に学祭で販売したこともありましたが、お店で販売しているジュエリーはまったく別世界のものに見えていたのだと思います。
勤めて2年ほどはお店の業務にも追われていて、自分で作ろうという考えは全く起きませんでした。
アルバイトから入って2年程で社員になって、任される仕事も増えてきて、社長と一緒にクラフト系のイベントに出かけて作家さんに実際にお会いしてお声がけをするとか、そういった業務も担当するようになっていきました。店長を任されて、数字数字、作家さんのものよりオリジナルの販売促進を、という上からの声に段々と自由がきかなくなって、「自分の思うようにやりたい」という意識が強くなってきた頃、会社の人がたまたまジュエリー制作の専門学校の体験入学に誘ってくれたんです。その人はその学校の卒業生で、私がジュエリー制作に興味があると知って連れていってくれました。
その体験入学で初めて、銀を叩いたりなましたり(なます…金属に熱を加えて柔らかくすること)して、板をただ輪っかにしたようなとてもシンプルなバングルを作ったんです。作りながら「もっとやりたい」という気になっていました。その頃特に目的もなくお金を貯めていたので、それを学費にして入学することにしました。ちょうど祖父が体調を崩したこともあり、会社は店長を辞めて、週2,3日のアルバイトに減らしてもらいました。
お店の商品を飾る什器を作っていたのが彼(薫さん)だったのですが、彼と知り合って親しくなったのもその頃でした。お互いにものをつくることが好きで、新しく始めた生活のことについても色々と相談に乗ってもらっていました。

photophoto

学校に通うと決めた時は、いずれそれを仕事にしようと思って始められたのですか。

少なからず期待はしていました。貯めたお金も使うし、1年間じっくり学ぶのだから何か身にしなくてはという気持ちはありました。
自分の作りたい作品のイメージは色々あったのですが、始めのうちはそれを形にする技術がなかったので、学校に通いながらそれを形にする方法を一つ一つ身につけていきました。専門学校で、卒業後のビジョンもはっきりしている若い子たちがたくさんいたことも刺激になっていたと思います。
実際ジュエリーの職につくことは叶わなかったので、1年間のコースを卒業した後は老人ホームの朝昼晩の食事を調理するアルバイトをしながら、仕事以外の時間にジュエリーを作るという生活を始めました。老人ホームには60人の入居者の方々がいて、栄養士さんが作った献立に合わせて大きな鍋で作ります。大勢の食事を用意するのは初めての経験で面白かったです。自分なりに味付けや盛り付けにも工夫をしたりしていました。今考えるとなかなか大変な仕事でしたが、何にしても作ることが楽しかったし、料理の勉強にもなりました。
結婚後、妊娠を機にその仕事を辞めたのですが、家での料理が苦ではなかったのもその時のおかげだと思います。

杏子さんがものづくりを始められた頃、旦那さま(薫さん)は既に独立していらしたんですよね。杏子さんのジュエリー制作に薫さんの影響はありましたか。

そうですね。あったし、今でもあります。ものを作るということだけで生計を立てて、独立して一人でやっているという部分でもとても尊敬しています。何か作るにあたってのものの見方や考え方も、相談するとやはり納得する答えや新しい考え方をくれる、というのもとても支えになっています。夫であり、ものづくりの大先輩でもありますね。

photophoto

薫さんの作業場の2階に、杏子さんの作業場もできたのですね。

そうなんです。ついこの間まで何も手を入れていない部屋だったのですが、今年に入ってやっと壁を塗りました。大家さんに許可をもらって、もともと壁だったところに彼(薫さん)が穴を開けて、窓を付けてくれました。作ったばっかりで、取っ手もカギもこれからつけるんです。
ここ(部屋の左側のスペース)は、私が仕事をしているときに子どもが遊べるように作ってもらいました。

杏子さんはお勤めをされながらジュエリーを習い始めて、ジュエリーを作りながら別のお仕事をされて、現在は家事、育児をされながらの制作なのですね。大変ではないですか。

ジュエリーは仕事ではなく、好きな事というところから始まっていて、今からそれを仕事にしていこう、という段階なんです。作り手として活動を始めたのはまだ去年のことなので。だから大変な段階があるとしたら、今ではなくてこれからかもしれません。
それに、フルタイムでお仕事をされているお母さんに比べたらとても楽をさせてもらっていると思います。好きなことをやっているのだし。むしろ、制作をしている間のひとりの時間が子育ての息抜きにもなっていて、大変というよりは切り離せない、必要な時間になっています。
卒業したときのことを「どうしてあのとき作ることから離れてしまったんだろう」と思っていたこともありましたが、ものを作るというプロセスを勉強したことや販売を経験したこと、社会に出てから、ひとつひとつ手仕事で作られたものや作り手に出会ったこと、振り返ってみたら全てが今やっていることの糧になっていると思います。
ただ、今持っている「ジュエリー作家としてやっていきたい」という気持ちを手放すことはもうしたくないですね。今は家事や育児があるし、以前のように別の仕事をしながらジュエリーも作る、というのは時間の都合上もう難しいから。だから今度こそ、ジュエリーできちんと一つの道を作れたらいいなと思っています。



渡邊杏子

Kyoko Watanabe

1982年
  横浜で生まれ、北海道で育つ
2005年
  武蔵野美術大学造形学部
  工芸工業デザイン科卒
2008年
  ヒコみづのジュエリーカレッジに通う
2009年
  鍛鉄作家の渡邊薫と結婚
2010年
  長男妊娠を機に仕事を辞め、
  自宅でジュエリー制作を始める
2012年
  iichiショップをオープン
このページのTOPへ

パスワードを忘れた方はこちら

ログインできない場合はこちら

携帯のメールアドレスにて登録される場合は、
ドメイン iichi.com より受信できるよう、
メール設定の見直しをお願いします。ドメイン指定受信について
iichiの利用規約およびプライバシーポリシーをお読みいただき、
同意される方のみ「同意して会員登録する」ボタンを押してください。